Epilogue

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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戦国時代の記憶も遠くなった寛永十四年、

 

最後の大乱が起こった。

 

世に言う、天草・島原の乱である。

 

老齢の身となった立花宗茂は、

 

十字架の旗が舞う、その戦場に居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松平信綱

Tukihime_kohaku01「…ですから、私がキャッチした情報だと、原城の兵糧は残り僅かです」

 

Tukihime_kohaku01「ここは無理な攻撃は避け、兵糧攻めにするべきです」

 

 

武将C「武士の我らが、農民風情に兵糧攻めだと?」

 

武将E「そのようなチキンな戦法を採ったら、末代までの恥となるわ」

 

武将F「我等には武士の誇りがござる。“知恵伊豆”殿にはわからんでしょうがな」

 

 

Tukihime_kohaku02(そんなカッコばかりつけていたから、前任者は失敗を重ねたあげく、討ち死にしちゃったんじゃないですか…)

 

 

立花宗茂

TKHM_TonoSiki「……」

 

 

Tukihime_kohaku01「あ」ramp

 

Tukihime_kohaku01「立花殿は、どうお考えですか?」

 

TKHM_TonoSiki「…私の経験では」

 

TKHM_TonoSiki「城兵の心が一つとなった城を力押しで落とすのは難しい。それが例えどのような小城でもです」

 

TKHM_TonoSiki「まして原城は三方を海に囲まれ、唯一陸地に接した西側も泥田。天然の要害です」

 

TKHM_TonoSiki「伊豆守殿の方策こそ、理に適うと存ずる」

 

 

武将C 武将E 武将F ざわざわざわ……

 

 

kohaku「この中で、最も戦歴がある立花殿が、そう言うのならば間違いありませんね。兵糧攻めに決定です♪」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

 

 

 

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 ・

 

 

 

 

Tukihime_kohaku01「すみません、さっきはダシに使ってしまって」

 

TKHM_TonoSiki「いえ、これで無用の人死にが避けられるなら」

 

Tukihime_kohaku01「はあ」

 

TKHM_TonoSiki「しかし、伊豆守殿ですから言うのですが、今回の公儀の対応、もう少しなんとかならなかったのですか?」

 

Tukihime_kohaku02「いや、その…」

 

TKHM_TonoSiki「そもそも、初動からして対応が遅れておりました」

 

Tukihime_kohaku02「というか、私もホントは幕軍を指揮する為ではなく、戦後処理の為 に使わされたのですよ。幕府は、私がここに着くまでには、乱は鎮圧できると思っていたのですね」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

TKHM_TonoSiki「彼らは、どうなりますか?」

 

Tukihime_kohaku01「彼ら、とは?」

 

TKHM_TonoSiki「城に立て篭もっている一揆勢ですよ」

 

Tukihime_kohaku01「皆殺し…でしょうね」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

Tukihime_kohaku01「そして、この乱は多くの意味で契機となるでしょう」

 

TKHM_TonoSiki「彼らは、只…」

 

Tukihime_kohaku01「酷い圧政に苦しんだ哀れな民草ですよ。その三万七千人の血を吸って、我らは支配体制を強化しなければなりません」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

Tukihime_kohaku01「如何ですか? 元大友家臣として、時代の変換点たるこの戦に立ち会ったご気分は? 切支丹の世紀は、この乱を持って終焉を告げます」

 

TKHM_TonoSiki「私は、この時代の狂言回しのようなものですから」

 

TKHM_TonoSiki「九州征伐でも、朝鮮出兵でも、関ヶ原でも、大阪の陣でも、変わった役を用意され続けてきました」

 

Tukihime_kohaku01「常勝無敗の将がご謙遜を」

 

TKHM_TonoSiki「常勝無敗……何やら、負け戦ばかりだったような気もしますが」

 

Tukihime_kohaku01「他が敗れても、貴方御自身は一度も敗れていないじゃないですか」

 

TKHM_TonoSiki「…どうでしょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―文禄の役―

 

 

伝令

伝令「明の大軍が、この漢城に迫っております!! 篭城するか、迎撃するか決めませんと!!」

 

武将C「何分、敵は大勢。篭城するしかないのでは」

 

武将E「うむ…」

 

武将F「已む無し」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

igiari

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小早川隆景

fate_raida01「もしこの小勢にて篭城すれば、明軍は十重二十重に、この城を取り囲み、我らを干乾しにするでしょう」

 

TKHM_TonoSiki「左様」

 

武将C「では、どうしろと」

 

fate_raida01「敵は大勢ゆえに、こちらを侮っております。今、不意を突けば、敵の戦意を挫けさせる事ができます」

 

TKHM_TonoSiki「左様」

 

武将E「しかし、敵は十万にもなろうとする大軍」

 

武将F「誰がそのような離れ業をやってのけましょうか」

 

fate_raida01「それは、こちらの左近将監殿(立花宗茂)が」

 

TKHM_TonoSiki「左様…」

 

icon7「…って、ええ!?」

 

 

武将C 武将E 武将F ざわざわざわ……

 

 

fate_raida01「かつて、左近将監殿の義父君には、我等毛利も散々破られました。この重要な戦を任せられる軍です」

 

武将C「うむ」

 

武将E「確かに」

 

武将F「立花勢ならば」

 

fate_raida01「決まりですな」

 

icon7「……」

 

 

 

 

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icon7「…というわけで、皆で死ぬ事となった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由布雪下・小野和泉・内田壱岐・薦野三河

079 068 086 mikhail

 

家臣一同キッーーク!!!!

 

 

kimhoon2%5B1%5D

 

 

ドゲシッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

icon7いって〜…

 

079「あのな〜」

 

068「毎回、毎回、厄介ごとに巻き込まれやがって」

 

086「呪われてんのか、アンタら一族」

 

mikhail「また無茶な戦かよ!!」

 

icon7「うう、すまん。しかし、この奇襲をしくじれば、誰も日ノ本に帰れなくなる」

 

 

079 068 086 mikhail「……」

 

 

icon7「立花勢がやるしかない…」

 

 

079 068 086 mikhail「……ハア」

 

 

 

 

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明軍総大将

李如松

h119矮小な蟲共が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

d

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

068ぐっ!?

 

 

 

 

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h102「……」

 

伝令「小野和泉殿の陣が、押し潰されます!! 至急、救援を!!」

 

h102「まだ早い」

 

伝令「しかしッ!?」

 

h102「タイミングを間違えば、全てが台無しになる。和泉を信じよ」

 

伝令「……ハッ!!」

 

 

 

 

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068うぬッ!!

 

 

h119…存外、しぶといな、倭人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

騎突@

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

h119ぬうっ!?

 

 

h119くっ!? この倭人共の勢い、まだ背後に軍勢が控えているのか!?

 

 

h102(いない、そう見せかける為のブラフ)

 

 

h119「…退け!!」

 

 

h102「追え!!」

 

 

icon7「…こっちが、寡兵って気づかせない為に追え。深追いはすんなよ」

 

 

079 068 086 mikhailへ〜イ

 

 

 

 

立花勢は、小早川勢と連携しながら、明軍に二千程の被害を出させ、撤退させる事に成功した。

しかし、この碧蹄館の戦での立花家の損害も大きく、

十時摂津の弟、十時伝右衛門を始めとして、その半分以上の兵を失った。

兵の損失を嫌った李如松は積極的な攻勢に出ず、日本軍の大部分もさっさと帰りたかった。

 

 

 

 

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文禄の役では、立花宗茂のかつての主であった大友義統が敵前逃亡の失態を咎められ、

豊後一国を召し上げられて毛利家にお預けの身となった。

 

その毛利家では、豊臣秀吉の外甥の秀秋が小早川家を継いだ。

 毛利輝元の養子として勧められた秀秋を、小早川隆景がその器量を危ぶんで、本家を庇ったという。

 その隆景も、二次出兵である慶長の役が始まった直後に病死する。

 高齢の身で、寒冷が厳しい異国での戦闘は、この知将の寿命を大きく削った。

 

 

 

 

fate_raida09「うう……輝元殿は、どうしようも無く愚鈍ですから、天下などには、関わらないように……」

 

毛利輝元

icont36「……」←愚鈍

 

 

 

 

 文禄五年には、加藤清正が秀吉の勘気を被り日本に召還され、謹慎の身となった。

 この事件から、清正ら武断派と、石田三成ら奉行衆の根の深い確執が始まった。

 

 

 また、文禄・慶長の役の間、立花宗茂は細川家の紹介で、側室を持った。

 その後、正室であるァ千代が城を出て、別居に至る。

 

 

 

 

 ツッコミD

 

 

 

 

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唐・高麗との交渉は、拗れに拗れた。

 

 

 

 

SiroLen「私を日本国王に任じてやる!? ふざけんじゃないわよ!!」

 

SiroLen「私は、自分の才覚でここまで昇ったのよ!! 天下の英雄たる私になんて無礼な物言い!!」

 

SiroLen「長袖の国のクセして生意気よ!!」

 

 

※ 長袖 … 武家が、公家や僧侶などを侮蔑する時に用いる言葉。無論、長袖の国の見方では、秀吉などは半裸の野蛮人である。

 

 

 

 

慶長二年、秀吉は再び十四万の大軍を渡海させた。

 慶長の役での前半の海戦は、先の文禄の役と違い、日本軍が圧していた。

何故なら、文禄の役で散々倭軍を破った李舜臣(イスンシン)が、讒言により投獄されていたからである。

 しかし、再び日本の侵攻が現実となれば、この有能な将軍を復帰させる他なく、李舜臣を一切の官位を剥奪した一兵卒の身分で従軍させた。

 

 

 

 

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慶長三年、日本でも、明でも、朝鮮でも、南蛮国でも、望まれ続けた事が起こった。

太閤秀吉が、その六十二歳の生涯に幕を閉じたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

sirolenicon2

 

露と落ち 露と消えにし 我身かな

難波の事も 夢のまた夢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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太閤の死と同時に、日本軍の帰還命令はすぐに出された。

この困難な退却戦で、武威を轟かせ、「石曼子(シーマンズ)」の名で恐れられたのが、島津義弘が率いる島津勢であった。

 

 

島津義弘

fate_giru01「圧されておるな」

 

武士1「はっ」

 

fate_giru01「李舜臣、流石に名将だな」

 

fate_giru01「あの者、かの国には珍しく武人気質で、平気で下々の意見にも耳を傾けると聞く」

 

武士1「殿に似ておりますな。この極寒の地にて、島津勢のみが、ほとんど凍死の憂き目を見ずにすみました。これも、殿が防寒の術を末端にまで細かく指示されたおかげ」

 

fate_giru01「そうでもしなければ、家来は勇を奮わぬわ」

 

 

 

 

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明・朝鮮の連合軍と日本軍の最後の海戦は、当初は連合軍側が優勢であったが、一発の弾丸が、その流れを変えた。

 

 

 

 

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武士1「李舜臣、戦死!!」

 

fate_giru01「……」

 

武士1「朝鮮水軍の士気が衰えていきます!!」

 

 

h198フッ、あの男の下なればこそ、か…

 

 

山田有信

KKO_Shima「カッコつけてないで、さっさと船を移って下さい!! その船、沈没しそうなんですから!!」

 

 

h198「マジ?」

 

 

 

 

この海戦で、退路を確保した日本軍は、なんとか引き揚げに成功した。

 両戦役で、諸将の出した兵の半数が帰還できなかった。

 明・朝鮮の損耗も激しく、多くのものが失われた。

 

 この朝鮮出兵で、九州の大名たちは、陶工を捕らえて連れて帰った。

 日本人は、そこから焼き物を発展させ、その技巧は後世において世界に知られる事となる。

立花宗茂は、他に朝鮮松とカササギを持ち帰った。

カササギは、元来日本には生息していない鳥で、現在いるものは、このとき宗茂が日本の空に放ったもの達の子孫である。

 

 

 

 

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この時、捕虜として三年間、日本で過ごした朝鮮の学者・が記した日本人論が、「看羊録」である。

姜先生が記した倭人の描写は、同時代にルイス・フロイスら宣教師が記した記録とは、おもしろい対照を見せる。

 

 

 

 

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―関ヶ原合戦前―

 

 

 

 

ァ千代

TKHM_TonoAkiha「お久しぶりですね」

 

TKHM_TonoSiki「うむ…」

 

TKHM_TonoAkiha「此度の戦、内府(徳川家康)にお味方なさいませ」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

TKHM_TonoAkiha「それが立花家の為です」

 

TKHM_TonoSiki「しかし、それでは道理が通らぬ」

 

TKHM_TonoAkiha「道理? 道理で家が保てますか?」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

TKHM_TonoAkiha「それも、これも亡き太閤様の失政のせいです」

 

TKHM_TonoSiki「太閤様からは、この柳河十三万石を頂いた義理がある」

 

TKHM_TonoAkiha「義理ですか。ならば、天下人には、天下を安寧に治める義理があります」

 

TKHM_TonoSiki「む…」

 

TKHM_TonoAkiha「私は、豊臣政権がその義理を棄てた時、天命はすでに大阪から去ったと思います。他の諸侯もそうお考えでしょう」

 

TKHM_TonoAkiha「確かに毛利を始め、西軍はそうそうたる顔ぶれが揃いました。しかし、本気で豊臣家の為に戦うつもりの方は、どれほどいるやら」

 

TKHM_TonoSiki「そなたの父なら、最後までお味方したはずだ」

 

TKHM_TonoAkiha「父は、大友家の同紋衆でした。ですから、大友を見捨てられなかったのです」

 

TKHM_TonoAkiha「その大友も義統様の敵前逃亡という失態で潰されてしまいました」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

TKHM_TonoAkiha「柳河十三万石、身の丈にあった選択をなさって下さい」

 

TKHM_TonoAkiha「天下の信を失った豊臣家への義理ではなく、家臣達への義理を優先して欲しいのです」

 

TKHM_TonoSiki「すまぬが、もう決まった事だ」

 

TKHM_TonoAkiha「…そうですか。後で後悔なされると思いますが」

 

TKHM_TonoAkiha「この地から、殿の御武運をお祈りします」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

その頃、 徳川家康は派閥の拡張をもくろんでいた。

 

 

 

 

本多正信

fate_raida09「豊前の黒田長政を引き込んでみては如何でしょう。武断派でもかなりの切れ者で通っています」

 

 

徳川家康

icont76「切れるのはいいが切れすぎても困る。いらぬ事を考えるからな」

 

 

icont76「多少、バカ の方が扱いやすい」

 

 

fate_raida09「…なるほど、バカ ですか」

 

 

 

 

小早川秀秋

h88「……」バカ

 

 

icont76「どうだね、我々の傘下に加わってみんか」

 

 

h88「……」

 

 

icont76「当惑するのも無理はない。君にしてみれば三成を裏切る格好になるからね」

 

 

h88(三成…)

 

 

Osaka02(…三成って…誰や?)←バカ

 

 

Osaka01(あ、そっか。三成って治部のことや。いつも治部治部って呼んでるから名前忘れてたー)

 

 

icont76「だがね、情に流されてはいかん。要領よく立ち回らんと…」

 

 

Osaka01(もう少し派閥について勉強しておけばよかったわー)

 

 

icont76「何か質問があれば遠慮なく聞きたまえ」

 

 

Osaka02「…治部って…誰や?」←バカ

 

 

icont76「……」

 

 

fate_raida09「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

icont76

“ワシはな、多少のバカと言ったんだ。

ありゃパーフェクトじゃないか”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

―関ヶ原合戦後―

 

 

天下分け目の合戦は、小早川秀秋の裏切りによって一日で終った。

 

 

 

石田三成

chiyoburu「うわ〜ん!! 酷いです〜、大阪さ〜ん!!」

 

小早川秀秋

Osaka02「これも乱世の習い、堪忍して〜な〜」

 

島左近

az_sakaki_old「ごめん、守りきれなかった…」

 

舞兵庫

icon32「ばう!!」

 

大谷刑部

Kimura02「義の為に戦ったのだが、無念」

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

立花宗茂は、京極高次の大津城を攻め落とす部隊に組み込まれた為、関ヶ原の合戦には参加していなかった。

 

 

icon7「え? 終っちゃったの?」

 

十時摂津

icont34「はい…」

 

h102「い、いや、まだ大阪城がある!!」

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

―大阪城―

 

 

h102「この城に篭って戦いましょう!!」

 

 

icont36「……嫌」←愚鈍

 

 

icon7(ダメだ、こいつ!! 早くなんとかry)

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

―九州―

 

 

大友義統

iconbzt2「…で、ですから、毛利殿のお力添えで、この機会に豊後を取り戻そうと思うのですが」

 

吉弘統幸

Fate_Avenger「……」

 

Fate_Avenger「アンタ、バカ ?」

 

iconbzt3「むっ」バカ

 

Fate_Avenger「そんな能無いんだから、無茶な真似は止めときなさい。輝元に誑かされているぜ」

 

iconbzt2「ちゃ、ちゃんと豊後入りを、手引きしてくれる人もいます!!」

 

Fate_Avenger「誰?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きゅぴーん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田原紹忍

iconfa46「ボクだよ〜ん」バカ

 

Fate_Avenger「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呆れ@

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒田官兵衛

icont19フゥゥゥ〜〜〜〜

 

 

iconbzt2 iconf11

 

 

icont59「家康と三成が争っているうちに、九州から第三勢力を立ち上げるという私の天下三分の計が…」

 

icont59「三成の小童が、アレほど使えないとは、思いませんでした…」

 

icont59「つくづく私って運がないですね〜」

 

iconbzt2「あ、あなた!?」

 

icont17「おや、お久しぶりですね、義統殿。悪いけど、その首置いていって下さい」

 

 

hg4「あ、そっちのワカメも☆」

 

 

iconf11「げげげ!?」

 

Fate_Avenger「…はあ〜、仕方ねえ」

 

Fate_Avenger「アンタ、最低の主だったけど、ここで俺達が死んでやらなきゃ流石に哀れだしな…」

 

iconf11「ボ、ボクは嫌だぞッ!?」

 

Fate_Avenger「これからは、他人に流されてばっかじゃなくて、自分の道は自分で決めろよ。その選択が、正しくても間違っていてもさ」

 

Fate_Avenger(2)「そうしないと、いつまでたっても後悔するだけだぜ?」

 

iconbzt2「ちょっ、待って!!」

 

 

icont83てやや〜

 

 

Fate_Avenger(2)「……」

 

iconf11ぎゃーーーー!!??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

060307-95

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

tukineta68

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

iconbzt2「…うう」

 

icont17「……」

 

icont17「まあ、アナタは殺す価値もありませんか」

 

 

 

 

大友義統は秋田家にお預けの身となり、幽閉された五年後に死亡した。

宣教師の記録では、義統は父と同じく最期は耶蘇の教えに回帰したと記されているが、それが己の意志であったかどうかまでは、確かめる術がない。

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

宗茂は、帰国中、敵中突破して退却した島津義弘と出会った。

 

 

icon7「参りました。西軍の総大将があれ程チキンだったとは…」

 

fate_giru01「我以外は、皆バカだったわ」

 

icon7「……」

 

fate_giru01「しかし小僧、貴様には少しだけ見所がある。これも何かの縁だ、我と一緒に守りの堅い薩摩に来ぬか?」

 

icon7「いや、領地が心配なので遠慮しておきます」

 

fate_giru01「そうか」

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

伝令「殿」

 

TKHM_TonoSiki「何?」

 

伝令「お父上の仇を取るチャンスです。島津義弘の周囲には、たいした数の兵もいません」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

伝令「岩屋城で殺された七百六十三名の恨みを晴らす機会は、今しかありません!」

 

TKHM_TonoSiki「…やめようぜ、こんな時こそ」

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

iconsera「鍋島、黒田、加藤の軍勢が、追討の為、柳河に攻め込んできました」

 

image023はぁぁぁ〜(溜息)」

 

image023「加藤、黒田はともかく、鍋島は嫡子・勝茂殿が西軍にお味方した以上、必死でしょうね」

 

iconsera「はい」

 

image023「女達に鉄砲を持たせて、海岸線を警備させなさい。恐らく、殿の手元には、そうするだけの兵が無いでしょうから」

 

iconsera2「……」

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

鍋島の攻勢を何とか凌いだ立花家は、加藤清正の仲介で開城する事となった。

開城に際して、柳河四群の領民達は、城の明け渡しを拒否するよう宗茂に嘆願した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

M_Male M_Male(Old) M_Extra M_Girl2 M_Dog

 

領民一同キッーーク!!!!

 

 

 

makoto02

 

 

ドゲシッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

icon7いって〜…

 

 

M_Maleいって〜じゃないわ、このバカ殿!!」

 

M_Male(Old)「この後、変な余所者の領主が来たら、ワシらの生活はどうなるんだ!!」

 

M_Extra「数十年後の天草・島原みたくなるのは、ごめんだ!!」

 

M_Girl2「食糧も兵も提供してあげるから、最後まで戦って!!」

 

M_Dog「わん」

 

 

icon7「気持ちはありがたいが、これ以上戦っても、皆、無駄死にするだけだよ。悪いけど、降らせてくれ」

 

 

M_Male M_Male(Old) M_Extra M_Girl2 M_Dogう〜…

 

 

icon7ァ千代は来ていないのか?」

 

伝令「はい」

 

icon7「…やっぱ、相当怒っているんだろうなあ」愚鈍

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

鍋島家は、戦後の働きを認められ所領安堵される。

 最早、竜造寺家には統治能力が無く、その所領は鍋島親子が管理する事となった。

 

竜造寺隆信の孫・竜造寺高房は、当て付けに、江戸で自殺未遂を起したのち病死。

 竜造寺隆信の子・竜造寺政家は、穏当な権力の譲渡を望んでいたが、高房の変死した翌月に急死してしまう。

 

 この事件は、後の世に、『鍋島騒動』としてお家乗っ取りの典型として描かれる事となる。

竜造寺の怨念は化け猫として鍋島を祟ったというが、鍋島家にしてみれば迷惑至極であった。

 

 

 

 

化け猫

icont94にゃーーー!!!!(自棄)

 

鍋島直茂

fate_iriya14「ネコ、嫌〜い!!」

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

 

―駿府―

 

 

降将となった宗茂は、加藤清正の客分となり、肥後に迎い入れられた。

島津は、頭は下げるが内政干渉は一切受けないという姿勢を貫き通した。

 

 

icont76「……」

 

fate_raida09「浮かないお顔ですね」

 

icont76「当たり前だ。確かに天下分け目の合戦には勝ちはしたが、豊臣恩顧の大名にも、大幅に加増しなければならなかったわ」

 

fate_raida09「何より島津が手付かずになってしまいましたな」

 

icont76維新入道(島津義弘)の目が黒いうちは、ワシも安心して死ねぬわ。二代目は、マジメさ以外に取り柄が無いし」

 

icont76「まあ、なんとか懐柔するしかあるまい。取りあえず奴の後嗣に、ワシの一字を与えよ」

 

 

 

h198「何、島津忠恒(初代薩摩藩主・義弘の第三子)を改め、家久…」

 

h198「…どっかで聞いた名だな」

 

故・島津家久

fate_lancer_04a「オイ…」

 

※ 九州征伐直後に暗殺された。

 

 

 

fate_raida09「立花宗茂はどうしますか? 謝罪してきましたが」

 

icont76「フン、何を今更」

 

fate_raida09「しかし、いつまでも清正の下に置いておくのも危険では?」

 

icont76「ううむ…」

 

icont36「あの〜、私は?」

 

fate_raida09「……」

 

icont76一人だけ安全な場所にいて、何のリスクも背負わずに、成果だけを得られるとでも思っていたのか、アホウ

 

 

icont36 ガーン!!

 

 

故・毛利元就 & 小早川隆景

touko fate_raida09「…ハア」

 

 

 

 

毛利は、防・長二十九万石まで減封された。

 

 

 

 

 ・

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 ・

 

 

 

 

―肥後―

 

 

icon7「京まで行って、家康殿に頭を下げてくる。捨扶持なりとも恵んで貰わんと」

 

icon7「関ヶ原で東軍についていれば、五十万石貰えたのになあ…」

 

079「今更、愚痴るな」

 

068「私は、加藤清正様の元で仕官し、残った家臣達の面倒をみる。殿の事は頼んだぞ」

 

mikhail「俺は、黒田長政様の召喚に応じようと思う。やはり、故郷は離れがたい」

 

086「そうか…」

 

079「ここでお別れだな」

 

068「うむ、もう立花家老として皆が集る事はあるまい」

 

 

079 068 086 mikhail「……」

 

 

mikhail「ふ、それじゃあな!! しみったれたヒゲ!! 長生きしろよ! そして、ケチなパイナップル頭!! 俺のこと忘れんなよ!!」

 

079「また会おうッ! 私の事が嫌いじゃなけりゃあな! このマヌケ面ァ」

 

068「忘れたくてもそんなキャラクターしてねえぜ、テメーはよ」

 

icon7ァ千代は見送りに来てないのか?」

 

伝令「はい」

 

icon7「…やっぱ、相当怒っているんだろうなあ」愚鈍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由布雪下・小野和泉・内田壱岐・薦野三河

079 068 086 mikhail

 

家臣一同キッーーク!!!!

 

 

 

20060407kick-4

 

 

ドゲシッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ・

 

 

 

 

iconsera「…宜しいのですか?」

 

image023いいんです、あんな人

 

iconsera2「……」

 

 

 

 

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―薩摩―

 

 

武士1「立花殿からお手紙が来ています」

 

fate_giru01「あの小僧からか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日今日と相待ち、日を暮らし申すまでに候」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fate_giru01「大分、参っておるようだな」

 

武士1「はあ。京都では家康に目通りを願った様ですが、家康は声も掛けずに、離京してしまったようです」

 

fate_giru01「あの狸親父、相変わらず底意地が悪いわ」

 

武士1「立花殿は、井伊直政殿を通して、復帰の道を探っているようですが」

 

fate_giru01「賢明だな。ウチもそうしたし」

 

fate_giru01「……」

 

武士1「……」

 

fate_giru01「復帰できるといいな、アイツ」

 

武士1「ええ」

 

 

 

 

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―京都―

 

 

iconseraァ千代様がお亡くなりになりました

 

icon7「ええッ!?」

 

iconsera「三十五歳の若さで、寂しく…」

 

icon7「……」

 

icon7「…やっぱ立花家潰しちゃったのがショックだったのかなあ」愚鈍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

iconsera2 iconliz

 

侍女ダブルキッーーク!!!!

 

 

e

 

 

ドゲシッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

icon7あべしっ!?

 

iconliz「どこまで愚鈍なんだ、コイツ」

 

iconsera2「ずっと、貴方を待っていたんですよ」

 

icon7 ガーン!!

 

icon7「…すまない。少し一人にしてくれ」

 

 

iconsera2 iconliz「……」

 

 

 

 

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―禅寺―

 

 

 

Fate_RyuudouReikan「何か?」

 

TKHM_TonoSiki「亡くなった妻の菩提を弔っていただきたい」

 

Fate_RyuudouReikan「解り申した」

 

 

 

 

ポクポクポク…

 

ポクポクポク…

 

ポクポクポク…

 

 

 

 

TKHM_TonoSiki(……)

 

TKHM_TonoSiki(最後まで擦れ違いばかりであったな…)

 

TKHM_TonoSiki(俺が殺した様なものだ…)

 

 

 

 

チーン…

 

 

 

 

TKHM_TonoSiki「申し訳ないが、手元に持ち合わせが無い。これで…」

 

 

 

 kari_nanatuyo01

 

 

 

Fate_RyuudouReikan「なかなかの業物とお見受けしますが、宜しいのか?」

 

TKHM_TonoSiki「ええ」

 

 

 

 

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―名古屋―

 

 

慶長八年秋、宗茂一行は京都を発ち、江戸に向かった。

清正の元に残った小野和泉ら旧臣からの仕送りもあったが、路銀は乏しかった。

困窮した一行は、物乞いや日雇いの仕事で糊口を凌ぐ。

最も稼ぎが良かったのは、十時摂津の尺八だった。

 

 

十時摂津

虚無僧 ぼへ〜♪

 

 

店の主人

a(ふうむ、虚無僧に身を窶しておるが、挙措動作が折り目正しい…)

 

a(これは、何処か名のある家中のお侍だったに違いない)

 

 

b「なかなか、お見事な曲でした」

 

icont34「ありがとうございます」

 

 

 

 

店の主人は、赤飯と膾を差し出したが、十時らには十分な入れ物が無かった。

 

 

 

 

icont34「も、申し訳ありませぬ…」

 

 

 

 

仕方なく、十時らは手の器を出した。

 

 

 

 

cap001「……」

 

icont34「……」

 

cap010「…何分、このような時期。いずれ道も開けましょう」

 

icont34「うっ」

 

 

 

 

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icont34「…てな事がありまして」

 

icon7「人の情けが身に沁みるなあ…」

 

 

 

 

立花家では、流浪時代の、この商家の主人の心遣いが忘れられず、「えーぎょ・えーさつ(愛敬・挨拶)」という行事に遺した。

 旧暦十月、最初の亥の日、子供達が家々を廻り、「えーぎょ・えーさつ、仲のよかごつかかせ召せ」と大声でよばわり、迎えた家は赤飯と膾を振舞う。

 子供達は、かつて十時らがしたように、ご馳走を手の甲にうけて口に入れる。

 猪の多産におやかり、子孫繁栄、家内円満、近所との親睦を願う秋の行事であった。

 戦後の一時、この行事は廃れたが、市内の信用金庫が復活させ、秋の恒例行事にしたという。

 

 

 

 

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―江戸―

 

 

虚無僧 ぼへ〜♪

 

icont34(は〜…いつになったら復帰できるのやら…)

 

SoundOnly「おい、虚無僧」

 

icont34「は?」

 

チンピラA

hk_spade「なんだ、その曲は」

 

チンピラB

hk_diamond「それで人から銭を取ろうというのか」

 

チンピラC

hk_club「我等を愚弄する気か」

 

icont34「…ならば、お代は結構でござる」

 

hk_spade「おい、待て」

 

hk_diamond「虚無僧の分際で、俺達に恵んでやるとでも言うのか」

 

hk_club「フザケおって、切り捨ててくれるわ」

 

icont34お、お止めなされ!! 危ないですじゃ!!

 

 

hk_spade「フへへへへ…」← チンピラ

 

hk_diamond「運の無い爺だ」← チンピラ

 

hk_club「汚物は消毒だ〜」← チンピラ

 

icont34「……」← 歴戦の武士

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

69159c98

↑死兆星

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

060307-95

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

tukineta68

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

hk_spade hk_diamond hk_clubぎゃーーーー!!??

 

 

icont34「だから、(お主らが)危ないって言ったじゃろう」

 

icont34「し、しかし困った…いらぬ騒ぎを起してしまったわい…」

 

 

 

 

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 ・

 ・

 

 

 

 

土井利勝

家臣B「…てな事件がございまして」

 

徳川秀忠

icont88「ううむ…」

 

家臣B「どうしますか?」

 

icont88「そろそろ、あの男に捨扶持なりとも与えてやらんとなあ」

 

icont88「大阪城には、まだ秀頼がいる。左近将監が篭城の指揮を執りでもしたら…」

 

家臣B「余り考えたくない状況ですな」

 

icont88(それに、俺もここらで、独自の判断を下さねば、二代目としてやって行けぬ)

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

慶長九年、  立花宗茂は禄五千石で、相伴衆に任じられた。

慶長十一年、 奥州棚倉一万石を拝領し大名に返り咲いた。

慶長十四年、 小野和泉が肥後で没する。

慶長十五年、 三万石に加増。二代目将軍の噺衆として信任を得る。

慶長十六年、 立花家旧臣の面倒をみていた加藤清正が死去。

慶長十七年、 由布雪下が奥州で没する。

 

元和二年、  豊臣家を根絶した徳川家康が七十五歳で死亡。

 

元和三年、  宗茂の弟、高橋直次が死去。

子の無かった宗茂は、直次の四男を養子に向かい入れていた。

その養子は、立花左近将監忠茂として、宗茂の跡を継いだ。

 

元和六年、  筑後領主・田中忠政が後嗣を遺さず死去すると、田中家は改易された。

その所領の内、十一万石を秀忠は宗茂に与えた。

それは、かつての立花家の旧領であった。

宗茂は、奇跡のカムバックを果たす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―寛永十五年・原城―

 

 

 

 

icont34「戦い続きの人生でしたなあ…」

 

TKHM_TonoSiki「お前、齢八十で、まだ戦場に立っているのかよ」

 

icont34「まだまだ若い者には負けませぬ」

 

TKHM_TonoSiki「まあ、そういう俺も七十を越えた。道雪様が陣没された齢になってしまったな」

 

icont34「我等、命冥加にも生き永らえましたな。弟の伝右衛門のように異国の土となってしまった者達も多数いるというのに…」

 

TKHM_TonoSiki「意味のない戦にも駆り出された」

 

TKHM_TonoSiki「家族や家来達も戦場に斃れた」

 

icont34「……」

 

TKHM_TonoSiki「虐殺、略奪、強姦、人身売買…直接にせよ、間接にせよ、汚い所業にも随分手を染めた」

 

TKHM_TonoSiki「しかし、それでも多くの家が滅んだ中、俺の様な非才が、たくさんの人達に支えられて十一万石を保ち続けられた」

 

TKHM_TonoSiki「借りばかりの人生だったな…」

 

icont34「死んだ雪下殿も和泉殿も、皆、傷だらけでしたな」

 

TKHM_TonoSiki「時おり、宗麟公の事を思い出す」

 

TKHM_TonoSiki「あの方が、耶蘇の教えに入った気持ちが、今では幾分か分かる様な気がする」

 

TKHM_TonoSiki「浮世のしがらみや、醜い事柄、そんな悲惨な現実から全て離れて、清い世界に行きたいという気持ちがな」

 

icont34「大殿…」

 

icont34「人間、業の深い生き物でござる」

 

TKHM_TonoSiki「……」

 

icont34「清く、正しく、美しく…常にそのように生きたいと思いながら、それを貫くのは、なかなか難しゅうございます」

 

icont34「確かに理想は捨てるべきではありませぬが、さりとて、現実を無視した安直な理想に飛びつくべきでしょうか?」

 

icont34「異国の文化や宗教が、如何に優れていようとも、如何に美しく見えようとも、その成り立ちや、扱いも知らぬ内に伏し拝めば、災いを招くだけでございます」

 

icont34「釈迦や耶蘇は、只そこに居られるだけです。それを拝む人間達にこそ、賢愚が問われるのではないでしょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Kyrie eleison.

Christe eleison.

Kyrie eleison.

 

 

主よ, 憐れみ給え

 

キリストよ, 憐れみ給え

 

主よ憐れみ給え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

h102…城から聞こえてくる、あの音は歌か?

 

h102「…

 

h102「……いや、祈りの声か…

 

 

icont34……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火の粉.jpg

 

 

 

寛永十五年 二月二十八日、幕府軍は総攻撃をかけ原城は陥落した。

一揆勢は絵師山田右衛門を除き、全員が処刑された。

 

島原の乱は一地方の反乱に留まらず、国の形態をも変える分岐点となった。

 

寛永十六年 七月五日、幕府は全ての大名に沿岸警備と渡来した外国船の長崎送遣を命じ、同年八月、熊本藩主 細川忠利、 筑前国主 黒田忠之、 久留米藩主 有馬豊氏、 佐賀藩主 鍋島勝茂、 柳川藩隠居 立花立斎 (宗茂) に対し、黒船渡来時には、長崎・江戸へ注進すべきこと、長崎奉行の命に従い、島原藩主 高力忠房 と万事相談して事に当たる事を申し渡した。

 

かつて南蛮文化の受容口であった長崎は、南蛮国の船に対する監視と防衛を目的とした海防体制の先鋒となった。

 

切支丹を邪教と断じ、国を閉ざした「鎖国」である。

 

寛永十九年 十一月二十五日、立花宗茂は江戸で七十六歳の生涯を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1543

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大友家伴天連騒動記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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